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日本に大きな影響を与えた百済の歴史や文化に触れる歴史テーマパーク
百済(ぺクチェ)は朝鮮半島の三国時代に繁栄した古代国家のひとつで、660年に唐(中国)と新羅の連合軍によって滅亡するまで600年近く現在の忠清道、全羅道一帯に存在しました。百済は当時の日本とも結びつきが深く、仏教など百済から伝来したものが多数あります。また百済滅亡時には王族や貴族の多くが日本に渡り一部が日本の朝廷に仕えたとされています。600年以上に亘り繁栄した百済ですが、新羅.唐連合軍によって百済全土が徹底的に破壊され、現在まで現存する百済時代の文化財はごく僅かに留まっています。その為か以前までは韓国国内でも百済は高句麗や新羅の影に隠れ、歴史や文化についてもあまり知られることがありませんでした。新羅の都が置かれていた慶州は遺跡や観光設備が整備され歴史観光地として外国人観光客からも知られていますが、百済の都が置かれたいた公州(コンジュ)や扶余(プヨ)はほとんど知られることがありませんでした。 
2010年9月に扶余にオープンした「百済文化団地」は忘れ去られてしまっていた百済の歴史や文化を理解してもらおうと100万坪の敷地に6100億ウォンを掛けて建造した歴史テーマパークです。団地内には百済時代の王宮、王族の寺院、百済時代の古墳、貴族の邸宅、職業別の庶民の家屋など、百済が最も繁栄していた時代の都を丸ごと再現しました。また建国神話の中で高句麗から南方に逃れた温祚(オンジョ)王によって築かれたという百済初期の慰礼城(ウィレソン)という村も再現されています。高床式で造られた家屋もある慰礼城はどこか日本の古墳時代のような雰囲気があります。日本の古墳時代、飛鳥時代に大きな影響を与えた百済の歴史や文化に直に触れることができる百済文化団地は韓国の新たな歴史観光地として脚光を浴びています。 
泗沘宮(サビグン)
百済の都は538年に熊津(現在の公州)から泗沘(現在の扶余郡)へ遷都されたことに因んで再現された百済時代の王宮 泗沘宮は天政殿(チョンジョンジョン)を中心に、武徳殿(ムドクジョン)、麟徳殿(インドッジョン)など14棟の建物が建てられています。
陵寺(ヌンサ)
五重塔が目を引く陵寺(ヌンサ)は、扶余(プヨ)郡の陵山里から発掘された百済時代に歴代王を奉った寺院の遺跡を同スケールで再現した寺。 陵寺再現の為、扶余郡から出土した五重塔跡や寺院の石塔を参考にし、伽藍の配置は百済時代の一般的な配置を用いました。
生活文化村
百済時代の住居を階級別に再現した民俗村。広い敷地の村には貴族の屋敷、儒学者や医学者の屋敷。鍛冶屋の家、木工職人の家などが並び、一つの村を形成しています。 一般庶民の家は藁葺き屋根、貴族の屋敷は瓦葺となど一見して貧富の差が見て取れます。
慰礼城(ウィレソン)
中国の資料で漢城(カンソン)と呼ばれていた475年までの百済時代前期の都を再現。位置は現在のソウルにあたり、肥沃な土地の恩恵をうけ百済の基盤を築きました。


住居の一部は高床式で造られ、生活文化村と比べると質素な造りとなっています。
♣ 観光地詳細情報

    観 光 地 名    :   百済文化団地   / 백제문화단지



   【 観光地 情報 】  

  住        所

 忠清南道(チュンチョンナムド)扶余(プヨ)郡 合井里(ハッジョンリ)575

  (ハングル)

 충청남도 부여군 합정리 575

  休 館 日

 毎週月曜日(祝日と重なる場合は翌日)、1月1日
  観 覧 時 間  3月~10月 09:00~18:00   11月~2月 09:00~17:00
※ チケットは終了1時間前まで販売 
 百済文化団地入場料

 大人4000ウォン、中高生3000ウォン、小学生2000ウォン

 百済歴史文化館観覧料  大人1500ウォン、中高生1200ウォン、小学生800ウォン

  お問い合わせ先

 041-830-3400
  現地 アクセス  ソウル南部バスターミナルから 扶余(プヨ)行きバス乗車、 扶余ターミナルから
 タクシーで約15分。

  
    ♣ 注 意 事 項

  • 現地の事情により予告なしに変更される場合もございます。あらかじめご了承ください。

  • 最終更新日 : 2015.12.10