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顕忠祠(ヒョンチュンサ)
忠清南道・牙山市には、顕武公・李舜臣(1545‐1598)将軍の祠堂がありす。1706年に建てられ、翌年に粛宗(スクチョン)が顕忠祠(ヒョンチュンサ)という名前を付けました。1932年、日本の植民地時代に李舜臣公の遺跡を保存するために遺跡保存会が設立され、その後、祠堂を再建して、政府が聖域として整備したものです。ここには、李舜臣将軍の掛け軸や生涯を描いた十鏡図が保管され、国宝76号の乱中日記や宝物326号の長剣などが展示されている遺物館や李舜臣公の暮らした家や弓道場、亀船などがあります。顕忠祠の正門である忠武門をくぐり、顕忠祠の入り口には、紅い門があり、紅い門を過ぎて李舜臣の掛け軸がある韓国式青器や鉄器のコンクリートの建物があります。
李舜臣(1545年 4月28日~1598年 12月16日)は、文禄・慶長の役時の朝鮮軍の将軍。朝鮮水軍を率いて日本軍との戦いに活躍し、日本軍を苦しめました。その功績から韓国では国民的英雄となっています。ソウルの光化門の世宗路には、李舜臣の銅像が建てられているます。これ以外にも、釜山龍頭山公園や木浦など、数多くの朝鮮半島南海岸に李舜臣の銅像が建てられています。彼の崇高な精神と統率力は壬辰の乱の中で一番優れた武将として韓国史に永遠に残る人物で、死後には忠武という諡号を受け, 日記である『乱中日記』と遺品たちは現在顕忠祠(ヒョンチュンサ)に保管されています。 
韓国一の名将、李舜臣将軍の祠堂
文禄慶長の役の水軍の将、李舜臣(イ、スンシン)。韓国に滞在された方なら一度はその名前を聞いたことがあるはず。それ程韓国国内で英雄視されている人物。その李舜臣は現在のソウルで生まれたが8歳の時にこの地に移り、この土地で武官として科挙(官僚登用試験)に合格するまで騎馬術や弓術の鍛錬にいそしんだ。 李舜臣は死後この場所に祀られ、1966年に韓国政府の事業の一環として大々的に整備された。顕忠祠にかけられている懸板の「현충사」という文字は朴正熙元大統領の文字によるもの。
李舜臣将軍が葬られている墓
顕忠祠内に保管されている遺物
顕忠祠内
♣観光地 情報データ  

    観 光 地 名    :   顕忠祠(ヒョンチュンサ)  /  현충사  



   【 観光地 情報 】  

  住        所

 忠清南道(チュンチョンナムド)牙山市(アサンシ)ヨンチ邑 白岩里(ベクアンリ)100番地

  (ハングル)

 충청남도 아산시 염치읍 백암리 100번지

  休 館 日

 毎週 火曜日
  入 場 料  無料

  観 覧 時 間

 3月~10月:09:00~18:00、11~2月:09:00~17:00

  お問い合わせ先

  041)539-4600

  ホームページ

 http://www.hcs.go.kr/

  現地 アクセス  温陽バスターミナルからからタクシーで 所要時間 約10分所要。
 天安バスターミナルからタクシーで 所要時間 約45分所要。

  
    ♣ 注 意 事 項
  • 入場券販売は 観覧時間 終了1時間前まで 販売してます。
  • 現地の事情により予告なしに変更される場合もございます。あらかじめご了承ください。
  • 最終更新日 : 2015.08.16